Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【ティティさん】二回目 「身体化された心」

トレーニング生、ティティさんのブログからの転載です。

----------------------

我他彼此(ガタヒシ)日記
二回目 「身体化された心」


第一章「私が身体であり、身体が私である」

 泰造(仮名)さんは、「自分自身の『身体』を自分自身で『動かしたい』」
という衝動が物凄い。たまに僕のワークの実験台になってくれる。

「自分で動かさなくていいんですよ」と言ってもそれを「やめてくれな
い」。

やっぱり他人に「動かされる」感というのは、承服できないのだろうか。

足全体を動かすことを止め、ゆっくりと静かに腿に手を置いた。

すごく張っている腿の筋肉(名前をすぐ忘れる(笑))さんがそこにいた。

僕自身もふーっと息を吐いた。

長い長い道のりを思った。

泰造さんを支えてきた70何年かの日々。

それは泰造さん自身でもあると思えてきた。

「たまには休んでも大丈夫ですよ」と思った。

すこしだけそこが緩んだ気がした。
泰造さんの表情も少し緩んだ。

もう一度、足のワークを少しした。

僕自身も一緒に「動いた」。

歩いてもらった。「ちょっといい感じがする」と言ってもらえた。


「動かす」「動かされる」の関係と「動き」の違い。「動かす」と思わず、「動
かされる」と思われず、「動いている」「動きのままに」「一緒に動く」が、
「動き」の一つのテーマだ。それには、ワークそのものの質の向上もあ
るし、それ以前の信頼関係を構築することが必要だと思った。


身体は見かけではない
身体はスペクタクルではない
身体は人に見せるものではない
その筋肉の力や
運動の大きさや
速さを人に誇示するものではない
身体は世界だ
身体は意味だ
身体は時間だ
身体は生きた経験
身体は
我々を取り巻く
無限の虚空への
解毒剤だ
(C・ペルフェッティ)


〈身体化された心〉
赤ん坊は、たえず動いて、世界を手探りしている。彼らは、たえず自分
の身体を使って働きかけ、行動しながら、世界がどんなものか確かめ
ている。ここにはわたしの小さい指があって、それでいろいろやってみ
る。ここには哺乳瓶がある。ここにはお母さんがいる。これはぼくの鼻
で、僕の足で、それに噛みついているんだ……という風に。
(認知神経学者 F・ヴァレラ)

「認知とは世界の表象ではなく、世界を生み出すことである」(同)


 赤ちゃんには、概念化や抽象化がない。自分の身体、五感をフル回
転して直接世界を掴み取る。

 最近、なるべく電灯をすぐに点けないように習慣付けている。

エコだからである?!いや、ケチだからである?!

それもある(笑)が、「見る」ということに重きを置かない訓練をしているの
です。

家はお風呂に行くために、本堂の中を横切って行かなければならない。

電気代がもったいないので、懐中電灯で通っていた。
ある日の風呂帰り、懐中電灯を風呂場に忘れたのです。そして、明かり
なしで本堂へ。

その時、「闇に眼が慣れてくる」ということに気づいた。

さらに、手を使い、柱を確認したり、足で段差を感じたりできることに気
付いたのです。

それが、面倒くさいけれど面白いのです。

今まで、「目に」「見える」ということに頼り過ぎていたなあと。

さらに、慣れてくると、例えば、賽銭箱に足がぶつかる直前に、危険を予
知する直観が働くのです。

それでもぶつかりますが(笑)
賽銭箱と足との空間(あいだ、間合い)が縮まる感じが分かるのです。

面白い。

空間を認識していても何でぶつかるのかもわかりました。

頭で予測して動くと、賽銭箱の気というか存在の波動が来るのが遅いの
です。
段差も予測すると、一歩出てしまい。止まれず落ちてしまう。

そう思うと、今の高級車がコンピューターで危険を認識し、車の動作を
制御してしまうのは、ある意味、人間の危険認識能力を退化させてしま
う。

五感をフルに使って、闇に慣れる訓練は面白いワークになると思った。

自分自身の普段の習慣も把握しやすい。
目に重きを置くと、足下がふらつく。
見えないことによって脚下が見えるようになる?!

すぐに電気を点けない楽しみはこれからも続きそうだ。エコだし(笑)

暗闇と明かりについて面白い二つの話聞いた。
まず一つは、漁師さんの話。夜の海で漁をして迷ってしまった時は、自
分たちの明かりを消し、真っ暗にすると、遠岸の灯台や港の灯りが見え
て助かったという話。

もう一つは、屋内の立体駐車場の話。「屋内では必ずライトを点けてくだ
さい」という注意を何故するかというと、暗いからではなく、ライトによって
車が来るのが、歩行者や運転手に確認できるからという話。

面白いですね。明かりを消すことによって、見える。明かりをつけること
によって、見てもらえる。

状況状況によって道具を使い分ける。道具を使えるってことは、自分自
身を使うということにも通じる。

目をもっと使えばいいのだ。いろんな目を。使わないで使うということも。

武道や禅でいう「見ないで見る」「見て見ない」の境地になる日も近いは
ずだ(笑)



ランキングに参加しています。
クリックの応援お願いいたします。

人気ブログランキングへ


関連記事
スポンサーサイト

Appendix

プロフィール

アライアンス京都校スタッフ

Author:アライアンス京都校スタッフ
ようこそおいでくださいました。

このブログは、アレクサンダー・アライアンス・ジャパン 京都校の事務スタッフが運営しています。

アレクサンダー・テクニーク教師養成トレーニングコースで学習中の生徒さん、卒業生のブログ記事を集めてご紹介しています。

アレクサンダー・テクニークってなぁに?教師になりたいけど・・など、アレクサンダー・テクニークにご興味をお持ちの方、ぜひご覧くださいませ。

生徒さんたちのリアルな体験談、気づきなどが盛りだくさんです。

こちらを通じて、それぞれの生徒さんたちのブログも、応援いただけましたら幸いです。
 
なお、コメント欄は使用しておりません。
メッセージ、お問い合わせなどは、メールフォームからお願いいたします。

人気ブログランキングに参加しています。応援のクリックお願いいたします。
人気ブログランキングへ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。