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【ティティさん】新春スペシャルWSの感想と気づき

トレーニング生、ティティさんのブログからの転載です。

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我他彼此(ガタヒシ)日記
新春スペシャルWSの感想と気づき


「今ココにいる」

 1月15・16日、梅小路公園・緑の館においてアレクサンダー・テクニークのワークショップに参加してきました。
アシスタントの一員としての反省や感想。一個人的な感想。全体としての感想などなど沢山あるのですが、

「今ココにいる」
今ココからフッといなくなる瞬間が、瞬間瞬間あることに気づく。「そこにいない」
具体的には、「挨拶」の瞬間。会釈して頭を戻す瞬間、相手の人から逃げるというか、もう次のことを考えている。身体も次の行動を起こしている。

「挨拶」とは禅語から来ている。師匠と弟子の問答で、拶処(さっしょ)といって師匠が常に弟子に迫ってくる。その瞬間瞬間に「言え言え」と。弟子が躊躇していたら「喝!」が飛ぶ?!

「拶処」(さっしょ)・・・様々な角度から公案(こうあん)の理解を点検するための禅的問題。

挨拶の瞬間に全存在がぶつかり会う。あるいは溶けてしまう。

そこに僕ら、いや僕には「遠慮」というものが介在してしまう。「謙虚さ」と言ってもいいかもしれない。
また、「丁寧な」「慇懃な」挨拶に対する「水臭さ」「嘘っぽさ」を感じるということもある。

「身体をねじりたい」実際ねじっている。

 日本人の特製として、謙譲語を使う時、身体も謙譲していると思う。小さく縮めたり、押し下げたりしているのではないかな。僕の身体にもその痕跡が?
そうすると、逆に相手の身体は尊大になる?尊大に見えてくるのだ。その尊大な態度に抵抗したい自分がいる。じゃあ対等に向き合えるのか・・・
尊大な自分と尊大な自分との戦いの構図が繰り返される・・・


あるいは「師匠の思惑は何か」とか「この深いお辞儀には何の意図が?」とか「相手の人のお辞儀の角度が気になる」とか推し量り、目の前から相手が消えている。自分しかいない。


単なる「私」と「あなた」で対峙できない・・・・・いつでも何かが介在している
それは「わたし」という意識。
それを削り取らなければ本当には出会えない
・・・取ろうとするのも「わたし」だ・・・・ 


いやそれら習慣を全てを含めた「我」と「我」、「汝」と「汝」、「我」と「汝」が出会うのだろう。


もちろんブルース先生が言っていたように「これが正しい挨拶」というのは無い。

「ここにいる」

存在とは習慣や歴史や背景や前世・・・全てを含めた空間、時間に、今立っているということ。

存在に係わる

「出会う(コンタクトする)」とは「遠く宿縁を慶べ」(親鸞聖人の言葉)に通じているようで感慨深いものがある。

親鸞さんは信仰に出遇った慶びを言っているのですが・・・

今ここで出会うまでに、ものすごくいろいろな縁があり、それが一つでも欠けたら会えなかったかもしれない。けど今、ここで出会う。


なんだか書いている今も胸が熱くなってきた・・・

まだまだ感想はあるのですが今日はここまで。


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